History

自立したかった幼少期
〜Childhood when I wanted to be independent〜
6人兄弟の末っ子。母子家庭で育った。自然しかない長崎の片田舎。
いつも小高い山の橋から有明海を眺めては、いつか外に出たいと願っていた。


修道会で過ごした10代
〜Teenage spent at a monk〜
12歳の私が田舎から出る為に選んだのは、特殊な生活だった。

修道会に入り、シスターになるための志願生としての生活。


塀の中に学校も住まいもあって、外に出るのは月に1度3時間。6年間その生活を続けた。
外の世界には疎くなったが、自省し自分軸を作るだけの時間は与えられた。

兄を15歳で父を17歳で
〜I lose my brother at 15 and my father at 17〜
15歳の冬、父親がわりだった兄が亡くなった。

立て続けに17歳の冬にも離れて暮らした父が癌で他界。

彼らの分も生きなければならないと強く思った。


進路は医療系の道を勧められた。
所属した修道会でなれる職業は『看護師』『介護士』『教師』の3つのどれか。
しかし、どれにもなりたいと思えなかった。

表現する仕事がしたい

〜I want to work to express〜

考えた結果、修道会を出ることにした。
父がデザイナーであったこともあってか『表現する仕事がしたい』と思った。

自分でしたその選択に今も後悔はない。
しかし18歳から働きに出ることの厳しさを、否応なく知ることになる。


自分は何者か=日本人のアイデンティティ

〜Who I am = Japanese identity〜

舞台関連の仕事の傍らアルバイトで生計を立てたが身体を壊し、その後NIKEや東芝に就職。

新しい職場で得るものも多かったが、『表現者になる為』に修道会を出たことを忘れかけ、日々の仕事に忙殺されていることにある日気づいた。

何を表現したいのか?自分は何者か?
突き詰めるうち、自分の中に『日本人としてのアイデンティティ』が圧倒的に足りないことに気付いた。
着物に興味はなかった

〜I was not interested in kimono〜

2010年、日本人として世界に誇れるデザインは何か?考えたところ【京都で着物の図案家に弟子入り】するという答えに辿り着いた。


父が亡くなる直前に、正月の着物姿を褒めてくれたことが脳裏に掠めたのもあった。


正直、着物に全く興味はなかった。が、学ぶうち大変好きになった。

自国の文化の素晴らしさも再認識したこと、今も誇りに思う。

社員として雇用されたあとも、就業時間外で必死に勉強を続けた。

祖父母が母に嫁入り道具に持たせた着物がキッカケで拓けたモデルの道〜
A model path that the grandparents brought to their mother's bridegroom with a kimono〜
2010年頃からInstagram等SNSが発達し始め、2012年頃から各SNSで和装に関する個人活動を始めた。
写真が『言葉のいらない着物や職人の宣伝』ツールになるのではと思ったから。
2014年の春、ライターから声がかかった。
『そうだ 京都、いこう』のネット版広告のモデルをしてみないか?という誘いだった。

モデルなど縁がなかったが、記念にと祖父母が母の嫁入り道具に持たせた小紋を着て撮影した。
その一枚を見た写真家に、モデルを続けないか?と写真の世界へ誘われることになる。

雑誌やカメラ広告のモデル等、和装に特化した仕事だけを続けた。活動を続けるべきか否かを問うクラウドファンディングも行った。

結果、モデルや図案家としての認知は徐々に広がっていくことになる。

御先祖からの縁を知る

〜Know the relationship from your ancestors〜


活動は次第にメディアの目に留まるようになり、2018年頃から急激に依頼が増えた。

故郷の凱旋公演に際し、密着取材された際、初めて御先祖が潜伏キリシタンだと知った。


流罪にされても信念を変えない頑固さ。曽祖父は浦上に住み、その後祖父が生まれた。

しかし、祖父は原爆で被爆。家族を全て失ったが、生き残り再婚し生まれたのが母だ。


父方の曽祖父は家具職人と村長。明るく人を魅了する家系。

頑固で職人が大好きなこと、人様を笑顔にするのが好きなこと。

私の血は全てをMIXして受け継いだようだと納得した。


私に与えられた使命とは

〜The mission given to me〜

伝統とは革新の連続だが、脈々と過去から繋がり受け継いだ軌跡でもある。

先人達の知恵をお借りして守破離することが、私達現代人に託された使命だと思う。


日本人は戦後、そのアイデンティティを忘れすぎた。

もう一度思い起こし、原点に還り、その根源に誇りを持つときがきたと思う。


私は自分と日本人のアイデンティティを諦めない。